山辺の道 南コース

山辺の道 南コースには石上神宮、長岳寺、崇神天皇陵、景行天皇陵、檜原神社、大神神社などがあり、大神神社を目指し、南に向いて歩くと景行天皇陵を越えたあたりから神体山、三輪山が迫って来る。そのあたりに景行天皇纒向日代宮跡、纏向遺跡があり三輪山に近いところに日本武尊の父、景行天皇の都があったことが判る。見晴らしの良いところからは神が宿る耳成山、箸墓古墳、畝傍山、天香具山、二上山、金剛山などが望め、古墳時代後期から飛鳥時代に点在した宮の跡、及び藤原京跡が近くにあることが意識できる。かつて海につながっていた奈良盆地は飛鳥時代まで湖や沼地が点在する排水に難がある地で、山すそをつたう山辺の道は弥生時代、古墳時代、奈良時代の幹線道、日本最古の官道と言われた訳が判る。道両側に大小、多くの古墳がある祖先神が宿る地に、神と共に暮らす農家が点在し、田園地帯になっている。現代につながる天皇を中心とした政権樹立の黎明期、中国地方平定と縁深い神剣に宿った御霊威を祀る石上神宮、それを遥拝するため岡山城天守閣は石上神宮本殿に向け建てられている。(岡山)曹源寺の伽藍と経蔵参道も石上神社を遥拝している。(岡山)吉備津神社本殿と石上神宮本殿を結んだ神の通り道は後楽園鶴鳴館、沢の池を通過する。吉備津神社本殿と大神神社拝殿を結んだ神の通り道は岡山城天守閣を通過する。吉備津神社本殿と崇神天皇陵を結んだ神の通り道は後楽園花交の池を通過する。吉備津神社本殿と大和神社を結んだ神の通り道は後楽園唯心山背後の林を通過する。吉備津神社本殿と(奈良)西乗鞍古墳を結んだ神の通り道は後楽園延養亭、沢の池を通過する。山辺の道にある神社、神体山、古墳と吉備津神社、吉備津彦神社、吉備の中山を結ぶ多くの神の通り道が岡山城と後楽園を通過しているので、岡山後楽園が美しいのは吉備の中山と山辺の道、その周囲の神社、山に宿る神々が往来する降臨地となっているからだと思う。(京都)天龍寺法堂と石上神社本殿を結ぶ神佛の通り道は西芳寺境内-物集女車塚古墳-妙教寺(淀古城跡)-一休寺庫裏-ウワナベ古墳を通過する。(滋賀)慈眼堂と(奈良)玉置神社を結ぶ神の通り道は若草山鶯塚古墳-春日大社の神域である春日原始林-石上神宮-継体天皇の皇后衾田陵-崇神天皇陵-景行天皇陵-上之宮遺跡-メスリ山古墳-徳利塚古墳を通過する。(京都)高倉天皇皇后徳子大原西陵と(和歌山)熊野那智大社と結ぶ神佛の通り道は寂光院境内-東大寺・春日大社境内-崇神天皇陵-景行天皇陵-珠城山古墳を通過する。延暦寺東塔と景行天皇陵を結ぶ神佛の通り道は(醍醐山頂上付近)醍醐寺開山堂-春日大社車舎のすぐ西-新薬師寺本堂・南門-岩屋大塚古墳-石上大塚古墳-天理教教会(別席場の南北に細長い建屋はこの線に沿って建てられている)-東天井山古墳-西山塚古墳-中山大塚古墳-崇神天皇陵を通過する。石上神宮が多くの鶏を飼い、鶏の吉祥の鳴き声を聞かせているのは、神の通り道を行き交う神々に聞かせるためだと思う。大神神社に本殿はなく拝殿から神体山である三輪山を拝むようになっている。山辺の道から見た三輪山は庭でよく見る権現石の形をしている。三輪山の形をした庭石は大物主大神が庭に権現したことを見せるためだと思う。箸墓古墳近くの織田長益と子孫の墓がある慶田寺本堂中心と(神島)八代神社本殿を結ぶと三輪山頂上の高宮神社-長谷寺本堂-(桜井市吉隠)天満神社-室生寺本堂-(松阪市)松尾神社本殿を貫く。慶田寺建屋の一部は建替時に使い勝手を優先し少し方向を調整したものかも知れないが、慶田寺の全体建屋は三輪山頂上高宮神社-長谷寺本堂-(桜井市吉隠)天満神社-室生寺本堂-(松阪市)松尾神社-(神島)八代神社に向きこれら聖地を同時遥拝し、神佛の通り道が作られている。大神神社拝殿と(三重)神服織機殿神社を結ぶ神の通り道は(三重)松阪神社境内を通過する。三輪山頂上と神服織機殿神社を結ぶ神の通り道は三輪山の奥津盤座-(巻向山)ダンノダイラの盤座付近-(当地)波弓神社奥宮付近-(松阪城)本居宣長ノ宮境内を通過する。(浜松)龍潭寺は伽藍全体で三輪山を神体山とする大神神社を遥拝している。南禅寺方丈中心と熊野速玉大社速玉宮を結ぶ遥拝線は東大寺大仏殿・南大門-御蓋山を配する飛火野-龍王山古墳群-三輪山を通過する。北の若狭彦神社上社と飛鳥寺本堂を結ぶ神佛の通り道は(京都)法然院庫裏-宇治陵25-宇治陵9-(奈良)大安寺-村屋坐彌冨都比賣神社境内-三輪神社境内-天香具山を通過する。以上、これまで本ブログで紹介した神佛の通り道を書き出したが、神佛の通り道はこれだけであるはずがない。このように山辺の道は南北の神の通り道に沿うように、神が宿る聖地を結ぶように伸びている。多くの神の通り道が交差しているので、神の降臨が感じられ清々しい。このように山辺の道は神と共に生きていることを見せる道だ。日本全国から山辺の道を歩くため多くの人が訪れ、祖先が歩いた道を歩き、神社参拝し祖先神に祈願している。神社本庁のHPに『神道では特別な唱え言はありませんが、神社に参拝するときや神棚を拝むときには、「祓え給い、清め給え、神かむながら守り給い、幸さきわえ給え」(お祓い下さい、お清め下さい、神様のお力により、お守り下さい、幸せにして下さい)と唱える場合もあります。このほか、古くは占いに関連して用いられ、その後、神様を拝むときに用いられるようにもなった「吐普加美依身多女とおかみえみため」という唱え言があります。この言葉の本来の意味ははっきりしていませんが、「遠神能看可給」(遠つ御祖みおやの神、御照覧ましませ)、あるいは「遠神笑美給」(遠つ御祖の神、笑ほほえみ給え)といった意味であるともいわれています。もともと、占いに用いられた言葉なので、「神様の御心があきらかになりますように」という意味であったのではないかと思われます。』と説明されていることから、山辺の道を歩けば、身の穢れが落ち、神々に守られ幸せになれ、石上神宮、檜原神社、大神神社などに参拝すれば、神と心の対話が行え、天命を察することができるということなのだろう。そこで、日本宗教の根本となっている神道の祈りについて易経と照らし合わせ考察してみることにした。①神社参拝とは神に近づくため身を清めた上で、自らの願望を神が宿る本殿、神体山、権現石に向かって述べ、神の意向を心で観察することだと読んだ。観察を示す易経「20風地観」は観察、省察の道を説明している。つまり神に向かい礼拝し、祈願することで、心で神と対話し、神の意向を心で観て行動に移すこと。祈願したことを実現させる道筋は成功者が歩く道と全く同じなので、事業や結婚を成功させた人を想定し、祈願成就するまでの道筋を書いてみた。②風烈しければ雷速く、雷が激すれば風が激しくなるように、風と雷は大きな振動を引き起こす。自らが向かうべき方向へ風に乗るように従い、稲妻のような決断を下す。これを繰り返すことで祈願したことが目標化でき、行動指針が定められる。③わだかまりを持たず、先入観を持たず、すなおに自らが定めた目標に向け進み続け、自らが定めた行動指針に従い行動を続ける。この時に試行錯誤しながら学び、身に付けた実力が後々、祈願実現のための最大の支援力となる。④人々は変化を好まないので、新たに起こした行動は他人の反発を受けてしまう。新たな行動を止めさせるような反対意見、反発、妨げ、恨み、妬み、疎外行為を受けるのは必然のこと。改革的な、革新的な祈願については、往々にして身内や友人から反発を受ける。風のように皆から集中的な反発を受けている姿を見た目下の者からも見下され、行動を押さえ込む行為まで受けてしまう。正道を歩いているのだから自らに利が有るはずなのに、強風で前進できないような阻害を受け、周囲の人と壁が出来てしまう。中途半端な対応をすれば阻害が大きくなり、自らの目標と行動が潰されてしまう。対策としては、先ずは自らの実力を検証し、実力不足と判断した場合は一旦行動を止め周囲の反発を止めさせること。そして、自らの実力を蓄え、周囲の人が押さえることができない実力を蓄えた段階で再度、行動を開始する。もし自らの実力に自信があれば、暖簾に腕押しのような対応で阻害行為をはぐらせること。誠意を持って個別に説明を行うこと。上長者に相談し打開策を見つけ、上長者に阻害を排除してもらい周囲に理解を求めることが必要だ。いずれにせよ、最大の解決策は自らの実力を向上させ、実力を充実させることにある。努力なくして祈願達成は叶わない。自己努力の積み重ねが最大の解決策だ。しかし、周囲の人の反発は増幅し、心の否定にまで及ぶ。例えば「お前ほど努力する人間はいないが誰も評価しない。」「友達ができるはずがない。お前と親しい人を見かけない。」「お前の努力は人から評価されない自己満足だ。」と罵られ、おかしな陰口が叩かれ、おかしな風評が立つ。周囲の人は身近な人間が祈願し努力されることで、立場が変化し、自らの生存に影響するような変化が起きるのを恐れ、そのように言っているにすぎず、意に介さない心の強さが必要だ。大きく見れば時代は常に変化している。誰かが改革改善を行うことで人類は生存し発展して来た。革新的な改革を行った人に皆がぶら下がって生きているのだから、孤独な改革者に敬意を示すべきであるのに、世間は孤独な改革者を受け入れない。菅原道真が被ったような革新的な土地を基本とした税制改革案を藤原氏に盗られ、一族が消滅させられたようなことが、世間では頻繁に起きている。地位が利権化する社会システムが革新者を排除するので、祈願したことを実行する者は細心の注意を払いこの危機を乗り越えなければならない。⑤総合的な実力を付け、上述した危機を乗り越えると、状況は急転回する。神が付いたように他人には乗り越えることができない貴さ、他人には止めることができない大きな影響力を手にすることができ、祈願したことが次々と実現し始める。祈願したことを大きく発展させ、大成果を得るためには協力者の働きが最重要となる。これまで培った実力を基に、積極的な行動にて祈願したことの成果を上げることに専念し、協力者を増やし、より大きな成果を得る努力を続けることになる。最も大切なことは自信過剰、自尊心が増大しないよう日々、自省すること。これを怠れば協力者が離れてしまう。勢いに任せ恨みを買うようなことを他人に押し付ければ禍根を残してしまう。目標を自らの実力を越えた高いものに書き換えて急拡大すれば利を食いつぶしてしまう。虚栄的な出費や快楽に溺れると自信過剰が度を超し家庭を潰し、培った人間関係を潰してしまう。自らに実力と勢いがあり、吹く風の向きが変わり何もかもが思い通りに、順調に進む時が最も危険な時だ。思わぬ事故を起こさぬよう、他人を傷つけないよう、先日まで他人から罵倒されていたことを忘れ、他人を罵倒しないように気を付けなければならない。⑥自省を怠らず、成功を積み重ねていると、祈願したものが手に入り続く。次に必要なことは知と徳によって多くの協力者を育て、協力者を保持し続ける事。世の中の変化に沿い明断を下し続け、次々と起きる危機を回避し続け、協力者を引き付け続けることで事業なり家族が大きくなって行く。⑦かたよらず、正しく堂々と突き進み続け、利を積み重ねることで事業は大きく膨らみ続ける。大きくなれば些細な失敗やクレームなどが大問題となる恐れあり、猛進路線から、慎重路線への切り替えが必要となる。かたよらず、正しく堂々とした姿は続けるも、事業は慎重に正しく行うよう心がけなければならない。⑧事業は大きくなることもあれば小さくなることもあるが、事業方針を変えることなく、同じサービス、同じ商品品質を提供し続け、事業方針がブレないよう心がけなければならない。夫婦の道であれば道から外れないよう心がけ、正しく進み続けなければならない。当初の祈願が個人の願望であったとしても、それが実現し、軌道に乗れば、社会にとって必要な祈願となり、社会的責任を負うことになる。他人が安心して見られる人にならなければならない。⑨事業成功者、結婚成功者など祈願が実現した成功者には倹約家が多い。大きな金は使うが小さな金は使わない。日常の食事は質素で、缶コーヒーすら買うのをためらう。小さなことにこだわり、どうでもよいような事を尋ねられても丁寧に回答する。他人の悲しみには大きく答えるように一緒に悲しむ。このように地を踏みしめるように道を進むことで、手にした事業、家庭を守り続けることができる。⑩すでに大きなものを手にした成功者は次に起こる変化への心構えを持ち続けなければならない。時代の大変化、社会の大変化、協力者の変化、生老病死、これらは予想できるものなので、何か起きても動じないよう準備を怠ってはならない。例えば協力者や部下が大成果を上げた時の報償、表彰などは予め用意しておかなければならない。⑪大成功者の最後の仕上げは自らが母なる大地となることだろう。人を育て、事業を育て、より多くの人が生活できるよう、より新しいものを生み出すことができるよう、自らが大地となり、新たなものを生み出し、育てる場を提供する人にならなければならない。つまりは神の意向に沿える人となることだと思う。⑫最初は身勝手な願望であっても、神に祈り、目標を立て行動を始めたことは、やがて社会が必要とする大事業となり、或いは社会的責任を果たす大家族となる。以上のように成功者への道を進めば他人の批判を受ける事があっても、順調に発展し有頂天になりかけても自制心さえあれば、失敗せず困窮するまで落ち込むことは無い。やがては目標達成ができ大きな利を得ることができる。目標到達ができたら神社へ御礼参りをし感謝を述べると共に自らが得た利益の一部を神社に還元すべきである。御礼参りにて進んで損すべきである。損は誰もが嫌なことなので、損したことで自らの心を緩めなくなり、奢ることもなくなり、手に入れた大事業、幸せな大家族を継続できる。何よりも他人が、利益の分配を求め、甘く言い寄って来て損させられることを防げ、騙されなくて済む。⑬神への御礼参りを済ませた後、新たな願望を持ち、新たに神に祈願し、神との心の対話を通じ神の意向を観察、省察し、新たな目標に向け一から奮闘開始する。神道の優れているところは穢れ無き綺麗な神社で神に祈願することで、神と心の交流が行え、神の心を観察し、正道を見つけ、正道を歩けること。このような神道の祈りが日本の社会発展を促進し、社会秩序を保っている。祖先崇拝、自然崇拝、シャーマニズムを統合発展させ、実在した人物を神にし、個々の神と心の交流を行う神道。経典すら無く、ただ自らの願望を穢れ無き神聖な場所で祈るだけの極めてシンプルな多神教民族宗教。これほど優れた多神教民族宗教が日本以外の他民族に有るのだろうか。