(奈良の象徴)若草山、神体山である春日前山(御蓋山みかさやま)と春日奥山(花山)を身近に感じる神域庭だが、京都市洛西竹林公園付近の竹林のようにモウソウチクを育てているため、園内の高所からも春日前奥山は良く見えない。隣の鷺池の西側から浮御堂を見ると御蓋山と花山が借景になっているので何故、神体山を借景としなかったのか疑問に感じてしまう。ならまち付近の庭らしく池は溜水で、石塔、灯籠、茶室がある。スギや巨木となった落葉広葉樹の幹や枝の間から若草山は眺めることができる。中低木樹はカエデ、ツバキが多い。庭の中心石は石塔なのだろうが、樹木が茂っているためか設置場所によるものか目立たない。茶室前は広場のようになっていて直線を強調した遊歩道がある。大木に囲まれた広場なので舞台照明のように太陽光が上空から降り注ぎ、広場が舞台のようで、庭の主人公は広場にいる人自身といった感じだ。(京都)圓光寺十牛之庭と同様、現代世界を具現した庭だと思った。神体山から流れて来た風を感じさせ、近くに神体山があることを感じさせるも、神体山をほとんど見せない。神の存在を感じさせるが、神は見せない。真の支配者の存在を大衆に感じさせるが、真の支配者は誰だか大衆に判らない社会を表現している。奈良の庭において背の高いモウソウチクの竹林をあまり見受けないので、強烈な印象を受けた。古都において新しい時代の生き方を提唱しているようにも感じた。