大阪では数少ない江戸庭園。思っていた以上に小さく、小さな崖のような急斜面に石を埋め込んだ単純構成の枯山水庭園。庭の上部に板塀があり墓地の目隠しがされているが、庭が単純構成なので、墓地整備される以前は西側の山を借景としていたのだろう。借景があれば伸び伸びとした庭になる。経年により土が流出してはいるが、江戸美をダイヤモンドのように輝かせていた。中心石は聖山を模したようで、(座禅石)上面が平らな神の着座石がいくつも置かれているので、神の通り道があると感じグーグル地図上に線を引いて見た。先ずは方丈の東西方向を見ると、方丈は西南西約380km先の(大分)両子山山頂付近を遥拝していた。反対の東北東には約272km先の諏訪大社本宮を遥拝していた。両聖地を結んだ線は方丈の南約300mを通過した。両子山には六郷満山の寺院群が点在し、両子山そのものが山岳宗教文化地なので、両子山の神佛と諏訪大社本宮の神が往来する神佛の通り道の下に当寺がある。方丈から庭を見ることは諏訪大社本宮を背にして、両子山を遥拝することに通じ、神佛が上空を通過しているように、庭に神佛が座っているように感じさせる庭となっている。中心石は両子山を模したのだろう。次に方丈の南北方向を見ると。方丈は北北西約50km先の(兵庫)日室ケ嶽山頂を遥拝していた。反対の南南東には約75km先の(奈良)高天彦神社本殿を遥拝していた。両聖地を結ぶ線は方丈の東約50mを通過、日室ケ嶽は御神体山なので当寺は両遥拝先の神の往来道の下にある。方丈南には真っ白ではないが太陽光を反射する砂が敷かれているので、高天彦神社の聖気を方丈に取り込む形に、参道は玉置山玉石社に向いているので寺全体で神を受け入れる形になっている。以上のように方丈が遥拝先を持ち神佛を取り込むだけでなく、遥拝先の神佛が方丈や庭上空を通過する恵まれた地にある。更に、日室ケ嶽を直接遥拝できる皇大神社(元伊勢内宮)の日室ケ嶽遥拝所と(金剛山山頂)葛木神社本殿を結んだ線は方丈中心を貫く。豊受大神社(元伊勢外宮)本殿と高天彦神社境内東側を結んだ線は当寺を通過する。(京都宮津市)籠神社本殿と(高野山の多数の子院に囲まれた)金剛院毘沙門天を結んだ線は当寺方丈と(大阪)ニサンザイ古墳の中心を通過する。出雲大社本殿と(京都)仲恭天皇九條陵を結んだ線は当寺境内、桂離宮古書院を通過する。(対馬)海神神社と(比叡山延暦寺)戒壇院を結んだ線は当寺方丈を貫通する。ブッダガヤの大菩薩寺と久能山東照宮博物館(東照宮より100mほど南西にある久能稲荷神社付近)を結んだ線は当寺方丈、(京都)龍安寺、平野神社、糺の森の南端(鳥居の少し北)を通過する。これほどに神の通り道が集中する寺は少ない。江戸美が輝き続けているはずだと思った。樹皮が灰色なのでモチノキだと思うが背の高い樹木があり、庭石を包むようなサツキの丸刈りが多く、江戸庭園らしいツバキ、マンリョーがあり、枯池を表現するため水辺の雰囲気を出すシダ、ミズカンナのような葉を持つ小さな植物が足元に育っていた。借景を失った庭は易経「23山地剥(さんちはく)」崩れ落ちる危なさがある庭に見えるおそれがある。借景の山を加えれば「53風山漸(ふうざんぜん)」山上の木々がゆっくりと成長するように、あわてず、正しく落ち着いて前進するのが人の道。或いは「20風地観(ふうちかん)」ものごとを目で見るのではなく心で観るべきことを説く庭になる。やはり借景山が見えるのがこの庭にふさわしい。