
知恩院
知恩院の三門(山門)は驚くほど大きく、西北に門を開いている。これだけ大きな門なので特定の使節を迎え入れることを想定し、迎え入れる相手国の聖地...
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知恩院の三門(山門)は驚くほど大きく、西北に門を開いている。これだけ大きな門なので特定の使節を迎え入れることを想定し、迎え入れる相手国の聖地...
織田長益の四男、長政を初代藩主とする芝村藩に仕えていた前部重厚が明治維新後、奈良県に勤め奈良公園整備に貢献した。この庭を作った前部重厚は儒学...
先の記事に書いたが(黒井城下)興禅寺の堂宇が落成したのが1626年(寛永3年)、興禅寺には大神山神社奥宮と当寺境内の地蔵菩薩像を結ぶ神佛の通...
黒井城のふもと興禅寺は戦国時代に生まれた春日局の生誕地と伝わるが、明智光秀と赤井直正が戦った黒井城と興禅寺に戦国の雰囲気はなく、洗練された女...
江戸時代の建屋全体で海側方向(西北方向)の174㎞先、出雲大社本殿を遥拝している。武家屋敷ならばこの方角に主庭があるが、小さな中庭から出雲大...
細川忠興とガラシャの子孫繁栄祈願庭 ロープウエイ吉野山駅から下千本エリアを歩き始め、下千本の終わりくらいに金峯山寺があり、中千本エリアに吉...
礼拝石に正座し擬人化された須弥山石(庭中心石)を拝む庭で、築山頂上の須弥山石(庭中心石)は多くの擬人化された石を従えている。築山と礼拝石の間...
(前期)柏原藩は信長の弟、信包から始まり52年続いたが(孫)3代藩主、信勝に男子なく1650年断絶、天領となっていた。1695年(元禄8年)...
1615年(元和元年)大坂夏の陣の直後、徳川家康から織田信雄は大和国宇陀郡、上野国甘楽郡など5万石余りを与えられる。宇陀松山城は小堀遠州らに...
1615年(元和元年)、織田長益は所領3万石を三分割し、(五男)尚長に1万石を分知し柳本藩主とした。(四男)長政に味舌を含め1万石を分知し芝...