宇陀松山城
1615年(元和元年)大坂夏の陣の直後、徳川家康から織田信雄は大和国宇陀郡、上野国甘楽郡など5万石余りを与えられる。宇陀松山城は小堀遠州らに...
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1615年(元和元年)大坂夏の陣の直後、徳川家康から織田信雄は大和国宇陀郡、上野国甘楽郡など5万石余りを与えられる。宇陀松山城は小堀遠州らに...
1615年(元和元年)、織田長益は所領3万石を三分割し、(五男)尚長に1万石を分知し柳本藩主とした。(四男)長政に味舌を含め1万石を分知し芝...
織田長益は所領3万石を三分割し、(四男)長政に味舌の2,000石を合わせた1万石を分知した。芝村藩(当時の呼び名は戒重藩4代)長清が戒重村か...
織田長益の活躍 1582年(天正10年)本能寺の変の際、旧二条城にいた織田長益(有楽斎1547年~1622年)は安土城、岐阜城へと逃避した...
志賀の陣にて二カ月以上、宇佐山城に貼り付いた信長は比叡山に籠る浅井・朝倉軍の兵糧を断つ目的で、坂井政尚ら一千を堅田(かたた)に送り込み、補給...
織田信長の躍進(17) 本堂は約32km先の(信長軍が無血開城させた観音寺城跡)観音正寺本殿を遥拝している。本堂から観音正寺本殿方向を見て...
織田信長の躍進(16) (京都)細川忠興建立の大徳寺高桐院で千利休を偲ぶ石灯籠と茶室を拝見し、豊臣秀吉建立の大徳寺総見院で織田信長の木造、...
織田信長の躍進(15) 1582年6月20日(天正10年6月1日)信長は本能寺で茶会を開き、そのあと酒宴となり、妙覚寺より信忠が来訪し、信...
織田信長の躍進(11) 特に天守及びその周囲の城壁(石垣)は髑髏を積み重ねたように妙に白く輝いている。安土城址全域が摠見寺の所有となってい...
織田信長の躍進(10) 姉川の合戦の2年後1572年(元亀3年7月)、信長は小谷城の西南向かい、わずか500mしか離れていない虎御前山(標...