方丈の西南に雪舟庭がある。古代より信仰される岩戸山(日室ヶ嶽)頂上とスサノオが一宿したと伝わる(西の比叡山と称される)圓教寺の開山堂中心を結んだ線は(高源寺)方丈中心を貫く。方丈はこの遥拝線(神佛の通り道)に沿って建てられ両聖地を遥拝している。この神佛の通り道は(兵庫県神崎郡)住吉神社-田口山城跡-置城城跡を貫き、その両側には多数の小さな神社がある。長い年月にわたり庭が守られてきたのは方丈が遥拝する神佛に守られているからだろう。更に方丈は東南の東大寺大仏殿に向き、方丈での祈りが東大寺の大仏に届くようになっている。東大寺大仏殿の背後には春日大社本宮神社が控えている。方丈側から雪舟庭を鑑賞すると築山上の三尊石付近を源泉とする枯水が沢谷を、ごうごうと流れ、枯水はやがて大河に入り、大海へと向かっている様子が見える。大河の河口付近には亀の形をした亀島があり、亀が上流を目指し泳いでいる。或いは築山に登り、三尊石に近づこうとしている。三尊石は少し小ぶりなので遠くにあるように見え、三尊石の中心石は両側の石に守られていて、尊く見える。築山手前の大きな石が、まるで築山をよじ登ってきた亀が三尊石方向に近づくかのようにせり上がり、その先、三尊石近くの石は三尊石と問答しているように見え、それぞれの石が発する巨大なエネルギーが三尊石にぶつかっている。沢谷対岸の築山には室町庭園でよくある多くの石を築山崖面に差し込み、崖面と対話ができるようになっている。方丈から見たこの崖面の方角には熊野本宮大社大斎原、丹生都比売神社、高野山があるので、方丈からこれら聖地と対話し、祈ると理解した。築山を越えた所には深い谷があり、谷を流れる渓流音が庭に響いている。この音響にて築山を聖なる大痩嶺として見せている。大痩嶺が中国のどこにあるのか、重慶市の痩嶺のことなのか、雪舟が自らの目で見た嶺なのかどうか判らないが、雪舟が作った大痩嶺は聖山の趣があり、臨済宗組織のあるべき姿を画いている。庭一番奥にある小さな三尊石の中心石は庭の全てを支配し、庭の中の全てに気配りしている。組織のトップに立つ人は洞察力に優れ、気配りしなければならないことを表現している。他の石々は中心石を引き立てるように向かい、中心石になびいている。中心石を他の石に比べ小さくすることで、中心人物も普通の一人の人間であること、部下たちは中心人物の威光にて大きな力を発揮していることを見せている。雪舟絵画は直線の強弱、墨の濃淡で事象の本質を表現しているが、この庭においては石の大きさ、形、色、配置場所で組織内のそれぞれの人物の本質を表現している。不要なものを排除した水墨画のようだ。築山上のカエデ、ツバキが大木になっている。方丈裏にはナンテン、アセビが育っている。落葉し明るい庭となる冬の雪景色が一番美しいのではないだろうか。春は若葉の新緑一色、夏は深い緑一色、秋は紅葉一色、冬は明るい雪景色の中にツバキが花を添える。一人の高僧が統率する臨済宗の組織、ひいては日本組織の本質を表現しているが、色が少ないことで組織内において男女の色恋が許されないこと、整然とした規則が必要なことを画いている。それぞれの石が三尊石を意識していることで、それぞれがトップの意向を掴み、それぞれが役割を果たしてこそ組織運営ができ、目標到達できることも画いている。庭の前を多くの観光客が行き交うが、庭の整備がなされていないからか、方丈から見学できないからか、足を止め、この名庭園をじっくり鑑賞する人はほとんどいない。