遥拝、密教、儒教を見せる外交庭園
上段の間がある庫裏(書院)前に広い白砂庭が広がっている。江戸幕府寺社奉行所の許可がなければこれほどに広い白砂庭は作れなかったはず。小浜港に近い地点、若狭彦神社上社まで約650mの地点にあるので、江戸幕府の政治(外交)目的に沿って小浜藩に作らせた庭だと推測した。阿弥陀堂(本堂)の向先を調べると、東南東に名古屋城本丸御殿、南南西に清和天皇陵(水尾山陵)があった。(藁葺屋根の書院造りの)庫裏の向先を調べると、東南東に(韓国)昌徳宮、南南西に清和天皇陵(水尾山陵)があった。庫裏から庭を拝することは清和天皇陵を遥拝することに通じ、本堂で千年以上前のヒノキの一本作りの大きな阿弥陀如来像を拝むことは名古屋城本丸御殿を拝むことに通じ、本堂側から庫裏に沿った方角に庭を眺めることは背後に名古屋城本丸御殿、借景の山側に(韓国)昌徳宮を遥拝することに通じていた。本寺と名古屋城本丸御殿を結ぶ線と、本寺と(韓国)昌徳宮を結ぶ線は約2度の差しかないので、本堂の阿弥陀如来像は名古屋城本丸御殿を背にして(韓国)昌徳宮を見つめている。小浜城本丸跡に建つ小浜神社と安土城百々橋口とを線で結ぶと本堂を通過した。本堂と熊野本宮大社大斎原を線で結ぶと知恩院境内、泉涌寺月輪陵、宝来山古墳の堀池、郡山城を通過した。白砂の南縁はその遥拝線に沿わせている。本堂と玉石社を線で結ぶと銀閣寺境内、ウワナベ古墳、甘樫丘を通過した。阿弥陀如来像を安置する本堂から(韓国)昌徳宮方向を望む方向に真っ直ぐ階段が下っている。その階段道は白砂で遮られているように見せている。まるで大海を表現する白砂が、(韓国)昌徳宮と阿弥陀如来像を大海で隔て、船でしか渡られないことを表現しているようだ。庭の築山上中央に高さ2.2mの本尊石が立っている。本尊席の傍には祠が立てられている。明らかに本尊石と祠の背後に聖なるものが控えていることが見て取れる。背後に控える聖なる場所は上述の通り清和天皇陵、庫裏から見て祠と本尊石の背後に清和天皇陵があるので、庫裏(書院)から清和天皇陵に祈りを捧げる遥拝庭だ。書院内、上段の間手前から庭を見ると本尊石と祠とが迫ってくる。本堂の東経は135度47分7秒、三韓征伐を行った神功皇后の陵の中心は135度47分7.22秒、当寺と神功皇后陵は東経方向でピッタリと合っている。以上のことをつなげると、当寺は小浜港から上陸した李朝の使者(外交官)、もしくは対馬から戻った朝鮮修文職員が藩主及び徳川幕府高官に謁見する場であったように読める。藩主が座る書院上段の間から見る本尊石と祠は迫って来るように見えるので、上段に座る藩主に対し清和源氏を意識させ、節度を持って清朝の使者もしくは朝鮮修文職員と接するよう、いさめているように感じる。謁見が行われることを想定して造られた庭なので緊張感が美しさを引き立てている。それにしても自尊心の強い庭だ。築山の周囲に多数のスギの大木があり、築山上の石々は埋め込められ頭を出すように石組みされているので築山全体が磐座(いわくら)のように見える。本尊石を取りまく石々がしっかり座っているので、曼荼羅を表現したようにも見える。昼間は太陽エネルギーを得た本尊石が火のようにエネルギーを放出するので築山の石組みが護摩壇に火を点じた様子を表現したようにも見える。明るい月夜は石組みと白砂が浮き上がって見えるようにも作られている。本尊石右後ろ、祠の前に石灯籠が一本立てられているが、灯りの開口部が庫裏側に開いておらず灯りを燈すと祠と本尊石が浮かび上がるようにしている。易経に当てはめると本尊石とそれを取り囲む石々による石組みは「火」或いは「天」を表現し、石組み手前の白砂は「天」「沢」「火」を表現している。上卦を「天」「火」、下卦を「天」「沢」「火」とした象意を読み取らせる庭になっている。晴天の昼、本尊石組が天に見え、白砂が天に見えると「1乾為天」天の運行は健全にして尽きることなく永遠に力を発揮する。天に則って行動すべきことを教える。晴天の月夜、本尊石が火に見え、白砂が天に見えると「14火天大有」月が天空を照らしている。今、盛隆の極みにあることを知り、まもなく衰退が始まることを知る。雨天日の昼、本尊石組が天に見え、白砂が沢に見えると「10天澤履」天は高くして上に有り、澤は低くして下にある。虎の尾を踏むような危ない目にあっても柔らかい態度、礼を失しない態度で難関が突破できることを教える。雨天日の夜、本尊石組が火に見え、白砂が沢に見えると「38火沢睽」火と沢とは相反する方向に進んでいるが、それ故に男女の仲のようにお互い引きあい必要とすることを教える。燃えるような夏、本尊石も白砂も火のように見えると「30離為火」日は昇り沈む、離合集散を知らせる。本尊石が天、白砂が火のように見えると「13天火同人」空に太陽がギラギラと輝いている時、志を同じくする者同士が揃った様子を見せ。藩主は好き嫌いに偏ることなく人事配置しろと告げる。白砂の左端(本堂に登る階段近く)に小さな池があり、本堂への階段を登り降りする際に目につくようになっている。白砂の陽と池の陰とを同時に見せバランスをとっているようであり、易経の「天と水」「火と水」をと見せているようでもある。「6天水訴」の象意は、天が上に、水が下にあり自然な姿に見えるが、天は上に上にと進むもの。水は下に下にと進むもの。天と水とは進む方向が違う。目指し進む方向が異なる者同士の争いは天水が違行するような愚かしいもので、争えば争うほどに溝が深まっていく。争うことの愚かさを教える。「64火水未済」有るべきところに有るべきものが存在していない、未だ済んでいないことを教える。清和天皇遥拝庭に真言宗の曼荼羅、護摩を刷り込ませ、易経の象意を見せる多面的で外交目的の庭だ。借景が作庭当時とほとんど変わっていないようなので、超一級の庭を拝観できることが奇跡のように感じる。若狭彦神社上社に住む神の御加護を受けているのだろう。